横浜大六天道院

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ようこそ少林寺拳法へ。

 私は道院長になる以前から、私生活に置いても少林寺拳法においても障がい者の友人と親しくしてきました。言いたいこと言える中ということもあり話すにつけ、少林寺拳法こそ障がい者武道に向いていると感じています。私自身も障がい者スポーツ指導員中級資格を持ち、またもうひとりも障がい者スポーツ指導員初級を所得しました。まだまだわからないことだらけですが、一緒に少林寺拳法をやってみませんか?
 横浜大六天道院では障がい者武道を行います。特に下記のような方にぜひ参坐していただきたいと思っています。

 障がい者が学ぶことについての考えはこちらにある程度まとめてありますので、ご参照ください。「少林寺拳法と障がい者武道 」PDF File

身体に障がいを持った方

 身体が不自由であっても少林寺拳法はできるのでしょうか。できるはずです。そもそも武道・武術は生き残る術です。危険なことはいつも突然に起こり、それはアンフェアなものです。片腕を負傷しても戦わなければならず、走れなくても生き残らなければならない。それが武術の本来の姿でありスポーツとは異なる点です。

 障がいは一人ひとり違います。戦い方も学び方も違うはずです。それでも少林寺拳法では楽しめる。それを私達と一緒に考えクリアしていきましょう。そこには大きな学びと可能性が有ると思います。時間はかかるかもしれない。でも必ず上達します。障がい者スポーツの著名な言葉のとおりです。

『失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ。Ludwig Guttmann』

心に障がいを持った方

 現代はストレス社会と言われ久しいですが、多くの人が心をすり減らしていますね。私の友達にも心が折れてしまった友人は沢山います。みんなもがいている。以前の社会生活を取り戻したいけどなかなか進まない。実は道院長もそういう時期がありました。そんな方はぜひ少林寺拳法に参坐してください。

 上のように心が折れてしまった友達は少林寺拳法で軽い運動をすることをとても喜んでくれました。身体を動かすことは心も動かす。そんな時、周囲の私達の心も動くのです。

 横浜大六天道院を社会復帰の一歩としてみませんか。なんの義務も競争もない道院で、利害を伴わない人間関係が少林寺拳法にはあります。

身体障害を克服して

※少林寺拳法には有名な隻腕の拳士がおりました。過去の文献から寄稿文を見つけましたので転載します。新聞『少林寺拳法』1974/08/10号より
『身体障害を克服して』直島道院長 上田清(1974年当時)

漂着した弾薬にふれ

 宇高連絡船が高松を出港して狭い水道にさしかかると、右に西部劇に出てくるようなはげ山を記憶している人があろう。私はこの島で生まれた。
 終戦の年の十二月、陸軍の弾薬処理の際、海岸に漂蓄した弾薬が突然爆発して私の左腕を切断した。人類を奈落の底に突き落した戦争が、同時に少年の私に「不具者」という十字架を背負わせたのである。父母の愛と先生の熱意で義務教育は終ったものの、希望した就職先の門は閉ざされ、荒んだ世相は不具者には冷たく、好奇の眼はいつの間にか私を家の中に閉じこめることとなった。
 武道好きの父の奨めで私は柔道を始めたが、不具者という条件の中での修業は私には厳しかった。しかし努力の甲斐あって、昭和三十年、講道館柔道三段を授けられるに至ったが、所詮ここも勝負の世界にすぎなかった。

拳法を通じて不屈の精神養う
 その頃、中野博造(現在関東連合会副理事長)が、三菱金属直島製錬所の社員に空手道を指導しておられると聞き、その仲間に入れてもらった。
 間もなく、県内に少材寺拳法があると聞き及び、中野先生はじめ一同で早速総本山少林寺の門を叩き、拳禅道にみ切る決意をした。
 週三回の修行は楽しかった。とりわけ、管長先生の「最後のよりどころは自分である。それしきの障害に屈せず、拳法を通じて不動の肉体と不撓不屈の精神を養え」という法話は、私に深い感銘を与え、私はひたむきに拳禅の修行に入った。道場の中には、互に助け合い、切磋しあう人々の魂のふれあいがあり、理想社会の縮図がそこにはあった。
 この間、しばし大会に出場し、昭和31年近県大会で優勝、32年および37年の全国大会に優勝、そのつど管長先生の激励を受けた。42年准範士六段の允可を受け、直島道院長としての私の周辺に若い青少年が集まってきた。その中から、創立二十周年記念全国大会少年の部で二位を得する者が出たとき、かつて私が夢想だにしかった生きがいを感じたのである。

生涯かけた拳法修行
 昭和三十九年、東京オリンピックに引続き、国際身体障害者パラリンピックが開催され、私は百米水泳自由型と棍棒投げに出場し、銀メダル二個を獲得することができた。この大会で欧米各国の選手と話合う機会を得たが、彼らの身体障害を克服した底ぬけに明るい表情と、民間福祉機関の発達や身体障害者に差別(就職等における)のない社会に感心させられた。
 私は拳法により先天的な快活さと明さをとり戻すことができ、現在直島郵便局の明るい職場とすばらしい我らの局長さんのもとで、自信と誇りに満ちた公務員としての充実した生活を続けている。
 身体不具を克服することを教え、人としての生き方を教えてくれた少林寺拳法、私は生命の許す限りひたすら修行に励み、そして後輩にこのすばらしい教えを伝え継ぎ、明るい社会作りに役立ちたいと念願している。
 稚文が、身体障害者でこれから少林寺拳法に入門の機会をつかもうとする人達に対し一灯とれば学いである。

おわりに

 特に上記の障がいに限っているわけではありません。興味があれば一度ご相談ください。少林寺拳法、横浜大六天道院は誰にでも開かれています。

 最後にこの写真ですが、右の仏像は奈良国立博物館収蔵の国宝、薬師如来坐像です。この写真を見たとき、取れた螺髪と欠損した手指を見てこの仏さまも不具なのではないかと感じた。仏さまは障がい者にも寄り添ってくれている、大きな慈悲を感じました。左の者は横浜大六天道院の幹部拳士(二段)で、幼少に怪我をして半身不随となった拳士です。頭には傷もある。この二人は似ています。


 

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